2006WSBR in 大潟 参戦記







2006年7月22日〜23日に、大潟村ソーラースポーツラインでワールドソーラーバイシクルレースが開催されました。
メインで活動してきた5年生のラストレースとなります。気合十分で乗り込みましたが、どうなることやら・・・。



7月21日 会場入り


出発前に準備をします。
颯のボディはエコムーブの滝のような雨で再起不
能になってしまったため、有限会社N川造船に作
り直してもらいました。(嘘)

その他変更点は、ワイドリムを採用した程度です。
JRで大潟村の最寄の駅まで向かい、そこからタ
クシーで大潟村に入りました。タクシーの車中、
運転手さんと秋田弁でソーラーカー談義に花が
咲きました。

天気があまりよろしくないです。
マシンも届いたので、雨が降らないうちにテスト
ランをすることにしました。
低学年チームもマシンの準備をしますが、雨で
結局テストランはできませんでした。

低学年のマシンの名前は鸞と書いて『らん』と言う
そうです。なんでも中国の伝説の鳥の名前らしい
のですが、私はさっぱり知りませんでした。(汗)
雨は上がり、晴れ間も見えましたがコースは全
然走れる状態でなく、テストランは断念しました。

その上、颯はMPPTが破損してまったく使用でき
ないということが判明し、急遽学校にあった別の
MPPTに乗せ変えました。
しかし、颯の不運はこれでは終わらなかったので
す。



7月22日 車検&最高速コンテスト


朝もやはり雨が降っていました。マシンが心配
なので、早めに車検を済ませました。
あるお方がてるてる坊主を作って送ってくれまし
た。うちの部の強烈な雨男×2に勝つことができ
ればいいのですが。(笑)
てるてる坊主のおかげか、雨がやみ路面が乾き
ました。これで最高速度コンテストも問題なく走れ
ます。
並びます。
低学年も並びます。

って、みんなリラックスしすぎじゃないですか?
記録は
颯→46.790km/hで26番グリッドスタート
鸞→43.421km/hで34番グリッドスタート
となりました。

しかしこの後、颯のモータが故障し走行不能とな
りました。急遽、48Vのモータに積み替えること
になり、深夜3時までかかって必死の乗せ変え作
業を行いました。



7月23日 CG杯耐久カテゴリーS


朝になりましたが、深夜までの作業がたたって
か、みんなしんどそうです。
出走前に準備をしていたところ、ブルーミントン南
高校のマイケルが遊びに来ました。

実はジャンケン大会に提供した万力をマイケルが
勝ち取ったらしく、それが縁で仲良くなっていたの
です。
グリッドインします。ほとんどぶっつけ本番のよう
な状態になってしまいましたが、あとはドライバー
とマシンを信じるしかありません。
部活史上初の1年生ドライバー、W.T氏に今田
先生がいろいろアドバイスされてます。
それでもこの余裕です。大物ですな。
スタート一分前です。しかし、マシンがチャリン
コに囲まれているのは異様です。
緊張の瞬間。
スタート後、無事に1周目を戻ってきてくれました。
しかし、やっつけ仕事なのに驚異的なラップタイム
です。マシンのポテンシャルが確実に上がっている
ことを認識できました。
鸞も順調に走っています。このままいけば5周は
できそうです。
2周走った後、鸞がピットインしました。
しかし、バッテリの電圧計にトラブルが起こったよ
うです。
しかし、対処のしようがなくそのままドライバーチ
ェンジしてピットアウト。
颯もドライバーチェンジし、少しペースを落としな
がらも7周することを目標に順調に走っていまし
た。

しかし、6周目の折り返しをすぎ、みゆき橋をこえ
て1km付近でリヤタイヤがバーストし、スピン。
走行終了となってしまいました。

40km/h以上のスピードが出ていたにもかかわ
らず、幸いなことにドライバーは無傷ですみまし
た。
鸞は何事もなく無事完走。5周という記録でした。
そして颯のパンク箇所。タイヤがえぐれていました。
  


以上で、2006WSBRのレポートは終了です。


春、夏とともにパンクという運の悪いレース運びとなってしまいました。
しかし、確実に部活のレベルは上がっているということを認識できました。
この部活を同好会から昇格させ、マシン作りとレースにすべてをかけてきた5年生もこれで引退です。
この悔しさは後輩が雪辱を晴らしてくれることだろうと信じています。


最後に、ご指導してくださった先生方、応援してくださった父兄の皆様、そして学生の皆さん
心より感謝します。ありがとうございました。




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